日本酒は農業により近い存在
原料が米だけの日本酒にとって、米はもっとも重要な素材であり、味覚と酒質の本質となるものです。私たちの酒づくりの哲学、産土では「土着の米づくり=産土米」として取り組んでいます。その基本は日本酒は農作物に近い存在であり、酒の美味しさは土地の自然を損なうことなく、自然の中から導き出さなくてはならないということ。
この基本を徹底的に守り、土地に受け継がれてきた農業の叡智を活かしながら、生態系と深く結びついた独自の自然農法を続けています。
無農薬、無施肥はもちろんのこと、稲は一本ずつ手で植える「一本手植え」、田植えの後、水をはった田んぼではなく、畑で稲を育てる「畑苗代」、稲刈り後の畑に水をはることで地力を高めながら、生態系を守る役割もする「冬期湛水」、かつては農村の当たり前の耕作風景だった「馬耕作」など、できる限り自然に近い、土地の生物と共存した最善の農法を常に選択しています。時にはうまくいかないことも、失敗もありますが、自然が与えてくれる力を信じて、米の個性として様々なかたちで酒づくりに受けいれることにしています。
2017年にいくつかの農家で自然農法での栽培をはじめた、江戸時代の肥後米の品種「穂増(ほませ)」からは、風土、農法、酒造りの違いが、酒質や個性の違いとなる、新しい成り立ちを持った日本酒の可能性が広がろうとしています。
Sake as a Product of Rice Agriculture
Sake is made exclusively from rice, making rice not only the most important ingredient but the very essence of sake flavor and quality.
Our Ubusuna philosophy of sake brewing is based on the idea that “indigenous rice cultivation equals Ubusuna rice”. This way of approaching the making of sake views sake itself as an agricultural crop, the flavor of which must be drawn from the nature of the land without compromising its originality. This is a fundamental principle for us, and we adhere to our unique natural farming methods which are deeply connected to the local ecosystem while utilizing the wisdom of rice cultivation which has been passed down from generation to generation on this land.
In addition to being pesticide-free and artificial fertilizer-free, each stalk of rice is planted by hand following the “field nursery method”. Instead of planting in flooded fields, the fields are flooded after harvest to increase soil fertility and protect the ecosystem. Plowing is carried out with horses as was once a common practice. Hananoka always chooses the best farming methods that are as close to nature as possible so as to coexist with local flora and fauna. We believe in the power that nature provides, and we accept the unique characteristics of rice in our sake brewing process. In 2017 several farmers began to grow Homase, a variety of Higo rice dating back to the Edo Period. Natural farming methods were adopted leading to the possibility of a new sake in which differences in climate, farming, and brewing led to the unfolding of new qualities and character.
馬耕作
馬耕は日本で昭和30年(1955年)ごろまで行われていました。馬耕(馬とともに土を耕す作業)の技術を復活させ、馬が暮らしにいたころの文化や環境を継承していきます。
全ての酒米に菊池川流域・和水産米を使用
花の香酒造が位置する熊本県の和水町地方は、菊池川流域にある米の名産地のひとつであり、2000年に及ぶ稲作農業の文化が、何世代にもわたって伝承されてきた土地です。2017年にはその菊池川流域での米作りの歴史が、文化庁の「日本遺産」として認定されています。日本酒づくりに適した米「酒米」もその歴史の中から生まれました。
現在、全国の酒蔵で使われている酒米の主流は、日本各地でつくられた「山田錦」です。私たちの酒蔵でも「山田錦」を使っていますが、あくまで品種のひとつ。重要なのはどんな品種の米でも、酒づくりに必要な全ての量を「菊池川流域・和水産の米」でまかなっているということです。これは私たちが最も大切にしている独自の価値観であり、単に産地証明やトレーサビリティとしての取り組みではありません。
同じ風土と水域で育った米であり、その米を知り尽くした農家が酒造りの一環として携わること、私たちの故郷で共に育った産土の米であることに、なによりも高い価値を置いています。
現在、酒蔵としても本気で農業を行っている「産土米」の取り組みは、和水町の田んぼの11%まで広がっています。
また、米どころに育った私たちには、なるべく交配交雑をやっていない地元の米を使いたいという強い思いがあり、「産土米」の探求の中で、江戸時代の熊本の在来種である江戸肥後米「穂増(ほませ)」と奇跡的に出会い、江戸時代と同じ製法「生酛造り」で醸した「ubusuna」として世に送り出すことができました。技術革新ではなく、江戸時代の米と古典の技術から実現したのです。
在来種の可能性
江戸時代「天下第一」と呼ばれた江戸肥後米「穂増(ほませ)」を復活
和水町のある菊池川流域は水田稲作の起源とされる唐津菜畑遺跡と共に、古代の稲作の謎に満ちた地帯です。長い時間の中で稲の品種は様々に変遷し、土地の在来品種の米としてこの地に受け継がれてきました。「穂増(ほませ)」は、その在来種の中で肥後米として記録が残る数少ない品種です。
江戸時代後期、熊本肥後藩が産出する米は「肥後米」と呼ばれていました。当時の和水町付近で栽培され高瀬港(現在の玉名)から船で大阪へ輸送されていた肥後米はやがて日本初の商品取引市場となる「大阪堂島米会所」で「天下第一の米、肥後米」として高い評価を受けることになります。
しかし「穂増」は明治初頭に消滅し、2017年に農家で奇跡的に40粒の種籾が見つかるまで、幻の米となっていました。2020年、地元の農家と自社農業部でも、その「穂増」を江戸時代と同じ自然農法で栽培する取り組みがスタート。稲が倒れるなどの数々の失敗と経験を経て、現在では収穫と江戸時代と同じ伝統的な製法「生酛造り(きもとづくり)」による酒づくりができるまでになりました。在来種、その可能性はロマンに満ち溢れています。
堂島米会所
堂島米会所(どうじまこめかいしょ)は、江戸から明治にかけて、大阪堂島にあった米の現物「正米商」と先物「帳合米商」を取引する公的市場。大阪商人たちの生き馬の目を抜くような熾烈な商いぶりは、現在のバーチャルな市場取引をしのぐほどの勢いであり、世界初の先物取引所の先駆けとして明治初期まで続いた。
1700年代中期から後期にかけて、肥後米は相場での最高値を記録したことから「天下第一の米」と称されるようになった。肥後米という品種はなく「穂増」など複数の在来種だったが、明治以降の品種改良等で在来種は次第に田んぼから姿を消していった。
現在「穂増」の復活を機に、江戸時代の在来種「江戸肥後米」の研究を、花の香酒造と農家の皆さんとで続けている。
自然農法の理想郷での「生物たちと共に耕す産土の米づくり」
なぜ先人たちの努力で酒米としての品質が良くなったのに、わざわざ昔の米を、手のかかる自然農法で栽培するのか?と聞かれることがあります。確かに自然農法や不耕起栽培への取り組みには大変な手間がかかります。しかし米づくりは私たちにとっては酒づくりの仕込みの一環。「日本酒がまだ出会っていない何かがある」という未知の可能性は、その苦労以上の価値と魅力を与えてくれると感じています。
酒米として使う米全量を「菊池川流域・和水産の米」とする取り組みの経験を経て、私たちは在来種という、もうひとつの可能性へたどり着きました。かつて日本酒が、地元の米から醸される「お国の酒」であった時代、私たちの酒蔵の前には穂増や在来種の稲穂が揺れる、嫋やかな農の風景が広がっていました。私たちはその酒づくりと共にある風景を思い描きながら、菊池川流 域・和水を自然農法の理想郷として、生物たちと共に耕す産土の米づくりを続けていきます。